2020/12/04 12:58
~いくつもの奇跡が塩ぎょうざの復刻につながる~
2016年4月14年におきた熊本地震。私たち家族も被害を受け、住まいを引っ越すことになっていました。
引っ越しの片付けをしてる時に、偶然、娘が見つけたレシピノート。
これこそが、当時1日2000個を販売していた「塩ぎょうざ復刻」への始まりでした。
~たらふくラーメンとの出会い~
熊本城見町通りの人気店だった昭和46年創業「たら福ラーメン」。
WEB検索やSNSが無かった時代だが、口コミで人気が広がり連日お客様で賑わっていた。
あっさり優しい味の塩ぎょうざは、老若男女問わず1日多い日は2000個を売り上げる人気メニュー。
しかし、今であれば移転の告知もWEBでできていたのだろうが、突然の移転後、売上も大きく減少。
移転したことも知らず、多くの方が記憶に残したまま「たら福ラーメン」は閉店に向かっていった。
~義理の父との約束~
京都で和食の修行を積み、地元大分県に戻りホテルで副料理長の和食料理人として働いていた。
当時付き合っていたのが今の妻であり、妻の実家は熊本で人気焼鳥屋 家康のオーナー。
実は義理の父(現在)は、「たら福ラーメン」より相談を受け、今後の店舗運営を考えていた所だった。
ある日、「お店をだす意志があるのか?もしあるなら、ラーメン屋があるからここのレシピを習得したら援助するぞ」
和食料理人をしていた中、この言葉に「一流の料亭で修業した自分がラーメンなんかで・・・」と料理人としてのプライドを傷つけられたと同時に不甲斐ない怒りもあったが,独立の道や飲食店の経営の勉強の為だと思い、「たら福ラーメン」のレシピ習得をする事を決意。
半年くらいだっただろうか…遂にメニューのレシピを習得した。
義理の父(現在)に報告をする際、ラーメン店でなく和食の店で独立させて欲しいと嘆願。
それから17年、熊本3店舗、福岡2店舗に総合居酒屋を展開するまでとなった。
~熊本地震~
熊本地震の被害は大きく、数多くあった熊本ラーメンの店はドンドン無くなっていた。
飲食業に関わる身として寂しい想いが募る一方だった。
~待望の赤ちゃん誕生~
妻のお腹には赤ちゃんが宿していた。しかし、切迫流産の危険の中、入院。無事に出産できる確率は50%だと医師から聞かされていた。
特に妻は不安な毎日が続いていたのだろうと思う。
そんな中、妻をなんとか元気づけようと考えていたところ、偶然、長女が見つけた「たら福ラーメンの塩ぎょうざ」のレシピを思いだす。
さっそく、娘と2人で作って妻のもとに。美味しく食べる優しい味の塩ぎょうざに妻も笑みがこぼれた。
そして、母子共に健康で長男の誕生。奇跡だったと思う。
生まれた時に、おるげんとグループの専務でもある妻がこう言った。
「塩ぎょうざを店に出していきたい」
~塩ぎょうざの復刻~
老舗の味だからとか、凄く売れていたなど頭に無かった。
妻がそうであったように、この塩ぎょうざを食べたみんなが笑顔になれる、そんなメニューにしたいと考えた。
ベースは崩さず今の老若男女に合う工夫を加える日々。
キャベツは甘みのある白色を選び、天草の藻塩や良質な肉の油を使ったり、
あっさりだけどジューシーさを出す一般の餃子には使用されない企業秘密の調味料も発見した。
お店での評価や、飲食業界の親交のある方にも広く食べてもらい感想をもらった。
そして完成したのが、おるげんとの「復刻塩ぎょうざ」
2020年11月には、福岡の大名店の1階を、この餃子との出会いをもとに
「大名餃子酒場イチタスイチ」としてリニューアルオープン。
コンセプトは、
餃子を食べて元気になってもらいたい。
笑顔を餃子で包み、輪(和)を楽しんでもらいたい。
オールゲットグループ 代表 友口義美
~大食い人気YOUTUBERの「もぐもぐさくら」ちゃんも完食~
おるげんとグループのお店でも、女性がペロリの何個も食べられる塩餃子だが、「もぐもぐさくら」ちゃんの食べっぷりは凄かった♪
https://www.youtube.com/watch?v=9849B2Mw8ew